クロロゲン酸Chlorogenic Acids (CGA)
コーヒーの味を語るとき、避けて通れない物質がひとつある。クロロゲン酸——生豆の重さの最大14%を占めるポリフェノールで、コーヒーは食品のなかでも屈指のクロロゲン酸の供給源である。この物質がやっかいなのは、それ自体は苦くないのに、焙煎で壊れたあとの破片が苦味の主役になるところにある。酸味にも、渋味にも、苦味にも、色にも関わっている。焙煎で何が起きているのかを追うと、コーヒーの味の骨組みが見えてくる。
- 生豆に含まれる量
- 最大 14%(乾物)
- 焙煎での減り方
- 乾物1%減ごとに 8〜10% 減
- いちばん多い分子
- 5-CQA(全体の56〜62%)
- 1杯(200ml)あたり
- アラビカ 70〜200mg
「クロロゲン酸」は1つの物質の名前ではない
SOURCE: Farah & Donangelo 2006まず名前の話から。クロロゲン酸(CGA)は、よく似た構造をもつ物質のグループ名である。共通しているのは「キナ酸に、ヒドロキシ桂皮酸がエステル結合でくっついている」という形で、くっつく相手と、くっつく位置の違いで何種類にも分かれる。
| グループ | 略号 | 異性体の数 | くっついている酸 |
|---|---|---|---|
| カフェオイルキナ酸 | CQA | 3種(3-, 4-, 5-CQA) | カフェ酸(3,4-ジヒドロキシ桂皮酸)——コーヒーでもっとも一般的 |
| ジカフェオイルキナ酸 | diCQA | 3種(3,4-/3,5-/4,5-) | カフェ酸が2つ |
| フェルロイルキナ酸 | FQA | 3種(3-, 4-, 5-FQA) | フェルラ酸(3-メトキシ,4-ヒドロキシ桂皮酸) |
| p-クマロイルキナ酸 | p-CoQA | 3種 | p-クマル酸(4-ヒドロキシ桂皮酸) |
| 混合ジエステル | CFQA | 6種 | カフェ酸とフェルラ酸を1つずつ |
生豆にどれだけ入っているか
SOURCE: Farah & Donangelo 2006, Table 2総説がまとめている生豆の実測値である。単位はg%(乾物100gあたりのグラム数)。アラビカとカネフォラ(ロブスタ)の差が、そのまま並んでいる。
| サンプル | CQA | FQA | diCQA | 総CGA |
|---|---|---|---|---|
| C. arabica | 5.76 | 0.25 | 0.87 | 6.88 |
| C. arabica var. カトゥーラ | 4.63 | 0.33 | 0.66 | 5.62 |
| C. arabica var. ブルボン | 4.77 | 0.34 | 0.56 | 5.67 |
| 野生の C. arabica(平均) | 3.26 | 0.19 | 0.60 | 4.10 |
| C. arabica var. ブルボン(ブラジル) | 4.2 | 0.28 | 0.77 | 5.25 |
| C. arabica cv. ロングベリー(エチオピア) | 4.6 | 0.29 | 0.84 | 5.73 |
| C. canephora cv. ロブスタ | 6.82 | 0.60 | 1.37 | 8.80 |
| C. canephora cv. コニロン(ブラジル) | 7.42 | 0.95 | 1.09 | 9.47 |
| 野生の C. canephora(平均) | 7.66 | 1.43 | 2.31 | 11.3 |
| ティモール・ハイブリッド(アラビカ×カネフォラ) | 4.71 | 0.33 | 0.58 | 5.62 |
| カティモール(ティモール×アラビカ) | 5.51 | 0.35 | 0.45 | 6.31 |
| C. liberica cv. デウェヴレイ | 5.39 | 0.48 | 1.1 | 6.97 |
焙煎で、どれだけ壊れるのか
SOURCE: Farah & Donangelo 2006(Clifford 1997/1999/2000 を引用)クロロゲン酸は熱に弱い。総説は「その熱的不安定性のため、激しい焙煎条件にさらされると、クロロゲン酸はほとんど完全にフェノール誘導体へと分解されうる」と書いている。減り方には、驚くほどきれいな法則がある。
壊れた先にできるもの
SOURCE: Farah & Donangelo 2006 / Gigl et al. 2026クロロゲン酸は消えてなくなるのではなく、別のものに変わる。その行き先が、コーヒーの味を決めている。
生豆の状態。それ自体は苦味物質ではない。酸味と渋味には寄与する。
(クロロゲン酸ラクトン)
脱水と分子内結合によってできる。コーヒーの中浅煎りの苦味の主役とされる。浅煎りでも苦味が出るのはこの物質のため。
焙煎の後半、ラクトンがさらに分解して4-ビニルカテコールになり、それが重合してできる。「荒く、後を引く」苦味とされ、深煎りに多い。
| 主なラクトン | アラビカ | ロブスタ |
|---|---|---|
| 3-CQL(3-カフェオイルキニド)最多 | 最大 230 mg% | 最大 254 mg% |
| 4-CQL(4-カフェオイルキニド) | 平均 116 mg% | 平均 139 mg% |
抽出で、どれだけ出てくるのか
SOURCE: Farah & Donangelo 2006(Clifford 1997/2000 ほか)豆に残っていても、カップに出てこなければ味には効かない。クロロゲン酸は、かなりよく出てくる。
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 家庭での抽出による抽出率 | 80〜100%(クロロゲン酸・ラクトンとも) |
| 温度の影響 | 100℃未満の範囲では、高い温度ほど多く抽出される |
| 抽出の速さ | 93℃では最初の2分がもっとも速く、その後は緩やかになる。家庭で一般的な最初の10分間は増え続ける |
| 1杯(200ml)あたり | アラビカ 70〜200mg/ロブスタ 70〜350mg |
| 保温したとき | CQAもCQLも減る(Bennat ほか 1994/Schrader ほか 1996) |
味への効き方——酸味・渋味・苦味のすべてに関わる
SOURCE: Farah & Donangelo 2006 / Wu et al. 2022精製方法やデカフェでも変わる
SOURCE: Farah & Donangelo 2006焙煎以外の工程でも、クロロゲン酸は動く。当サイトの他のページとつながる部分をまとめておく。
| 工程 | クロロゲン酸への影響 | 関連ページ |
|---|---|---|
| カフェイン除去(デカフェ) | 平均10%の減少が観察された(Farah ほか 2006b、同条件で焙煎した非デカフェ品との比較)。一方でラクトンは平均7%増加していた | カフェインレスコーヒー |
| インスタントコーヒー化 | 市販品の総クロロゲン酸は大きくばらつく(英国13検体で3.6〜10.7%、ブラジル9検体で0.6〜5.9%)。ブレンドと焙煎度の違いによるとされ、diCQAが少ないのは加工中の損失による | インスタントコーヒー |
| スチーム処理 | 胃に「刺激が少ない」コーヒーにする目的で焙煎前に蒸気処理する方法がある。水分の取り込みが増えることで生豆のクロロゲン酸が分解すると報告されている(Maier 1994) | — |
| モンスーン処理 | インドの特殊なコーヒー。クロロゲン酸が大幅に減少し、遊離のカフェ酸が増える——加水分解が起きていると説明される(Variyar ほか 2003) | 精製方法 |
| 放射線照射 | 報告が分かれる。Variyar ほか(2003)はクロロゲン酸の大幅な減少を観察したが、カフェ酸の増加は伴わなかった——つまり加水分解ではなく分解が起きたと解釈されている | — |
今後追加すべき項目
- 健康への影響 — 参照した総説は、クロロゲン酸の抗酸化・肝保護・血糖降下・抗ウイルス作用に触れている。当サイトは健康に関する助言を行わないため、これらは扱っていない。公的機関がまとめた資料の所在を示す形なら扱えるので、別途検討したい。
- 参照した総説が2006年のものである — Farah & Donangelo(2006)は当該分野の基本文献だが20年前の総説である。より新しい総説での数値の更新を確認したい。Wu ほか(2022)とは矛盾していないことは確認済み。
- 日本語の一次資料 — 当サイトが基準とする7団体のうち、クロロゲン酸の化学を扱った日本語資料をまだ見つけられていない。AJCA・SCAJの刊行物を確認したい。
- 焙煎度とラクトン量の対応 — 04の「乾物14%減=中浅煎り」を、8段階の呼び名やAgtron値と対応づけた資料は未確認。
- 5-CQAの異性化の速度 — 03の異性化が焙煎のどの段階で完了するのかは、参照資料に時間軸での記述がない。
- マゾンビオシド(mozambioside) — Gigl ほか(2026)がアラビカ種にのみ見つかる苦味物質として言及している。原論文を当たりたい。
- キノラクトンの酵素分解 — 苦味を減らす目的でラクトンを酵素で選択的に加水分解する研究が存在する(Food Chemistry 2016)。未読。
- Farah, A., Donangelo, C.M.「Phenolic compounds in coffee」Brazilian Journal of Plant Physiology 18(1):23-36(2006年、DOI: 10.1590/S1677-04202006000100003)— 本ページの骨格。クロロゲン酸の分類と異性体、Table 2(生豆の含有量)、Table 3(焙煎豆・インスタントの含有量)、焙煎による変化(95%・8〜10%・6〜7%・14%)、ラクトンの生成と量、抽出率と1杯あたりの量、カップ品質との関係、デカフェ・インスタント・スチーム・モンスーン・照射の影響。オープンアクセス版PDF(全14ページ)で全文確認(2026年8月21日取得)
- Gigl, M. ほか「Impact of Interactions between Melanoidins and Caffeine on the Bitter Taste of Coffee Beverages」Journal of Agricultural and Food Chemistry 74(23):18243-18252(2026年6月3日、DOI: 10.1021/acs.jafc.5c17022)— 04のキニドとフェニルインダンの生成経路。PMC(PMC13281520)で本文確認(2026年8月21日取得)
- Wu, H. ほか「Impact of roasting on the phenolic and volatile compounds in coffee beans」Food Science & Nutrition 10(4):1003-1020(2022年、DOI: 10.1002/fsn3.2849)— アラビカのクロロゲン酸4〜8.4%、苦味・酸味・渋味への寄与、キナ酸の生成。PMC(PMC9281936)で本文確認(2026年8月21日取得)
- 数値の再整理(02の表の並べ替え、04の2段構えの説明、07の「減った分の行き先」の対比)は、当サイトが出典の記述から作成したものである。原典がそのように述べているわけではない。