品種ページ / Variety
T5296T5296(サルチモール群)
「サルチモール」と呼ばれる耐病性品種群の、実質的な出発点となった集団。 ティモール・ハイブリッド CIFC 832/2 とビジャサルチ の交配種(H361)がコスタリカのCATIEに送られ、そこで研究された集団に与えられた番号が T5296 である。世代間で形質が安定しないため、WCRはこれ自体を農家に推奨していない ——にもかかわらず、ホンジュラス のパライネマ、エルサルバドル のクスカトレコ、ブラジル のIAPAR 59 など、各国の主力耐病性品種はここから選抜されている。
遺伝的系統区分 導入系(サルチモール系)
系統 HDT CIFC 832/2 × ビジャサルチ
位置づけ 育種素材(形質が不安定)
さび病耐性 中程度●
01
基本情報
SOURCE: WCR VARIETY CATALOG
名称 T5296。「T」はCATIEの所在地トゥリアルバTurrialba (コスタリカ )を表す
育種機関 WCRカタログの「Breeder」欄は空欄(「-」) 。特定の育種家が作出した品種ではなく、CIFCの交配種を各国の研究機関が受け取って研究した集団 であることによると考えられる
遺伝的系統区分 導入系・サルチモール関連Introgressed (Sarchimor related)
WCRによる要約 「中程度の標高によく適応する。品種として均一ではない 」
農家への推奨 推奨されない。 WCRは「T5296は育種上重要なさび病耐性個体だが、世代を経ても安定しないため農家には推奨されない 」と明記している
このページは「栽培品種」ではなく「育種素材」のページである。 当サイトの他の品種ページ(
ブルボン や
カトゥーラ など)は、農家が実際に植える品種を扱っている。T5296はそれとは性格が違い、
ティモール・ハイブリッド のページと同じく
「他の品種の親」としての意味が中心 になる。ただしティモール・ハイブリッドと違い、T5296にはWCRカタログの単独エントリが存在するため、スペック表は掲載できる(次章)。
02
詳細スペック
SOURCE: WCR CATALOG, 2026-08-11 取得
評価の目安:
▲ 良好
● 標準
▼ 要注意
— WCRカタログ自身の区分(Low/Medium/High/Exceptional等)をそのまま可視化したもの
樹形 矮性・コンパクトDwarf/Compact
新芽の葉色 緑Green
豆のサイズ 大きいLarge ▲
収穫量ポテンシャル 中程度Medium ●
高標高での品質 良いGood ●
最適標高帯 低〜中Low, Medium (緯度依存。次表参照)
さび病(CLR)耐性 中程度の耐性Intermediate resistance ●
線虫耐性 不明 Unknown 。ただしWCRの補足欄に「Pratylenchus spp.には耐性なし。Meloidogyne exigua には耐性の程度にばらつきがある可能性がある」との記載あり
コーヒーベリー病(CBD)耐性 耐性ありTolerant ●
初収穫までの年数 3年目
必要な栄養レベル 高いHigh ▼
果実の成熟時期 平均的Average ●
生豆歩留まり 高いHigh ▲
推奨植栽密度 5,000〜6,000本/ha(単幹剪定の場合)
栽培上の注記 T5296は均一ではなく、植物体は世代間で安定しない (WCR「Additional agronomic information」欄)
最適標高帯はWCRの区分で「Low, Medium」。緯度によって具体的な標高が変わる——カタログ自身の対応表は次の通り:
WCR Variety Catalog「T5296」Optimal Altitude 欄より。赤道に近い農園ほど最適標高は高くなる。
緯度 最適標高
北緯5°〜南緯5° 1,000〜1,600m
北緯・南緯 5〜15° 700〜1,300m
北緯・南緯 15°超 400〜1,000m
03
サルチモールが中米に届くまで
SOURCE: WCR VARIETY CATALOG「T5296」History
WCRカタログのT5296のエントリには、サルチモール群の詳細な歴史 ("Detailed history of the Sarchimor group of varieties")が書かれている。当サイトのビジャサルチ ・ティモール・ハイブリッド のページで扱ってきた経緯の、その先にあたる部分である。
1920年代
東ティモール島 で、アラビカ種とロブスタ種の交配種(
ティモール・ハイブリッド )が自然発生。ロブスタ由来の遺伝子がさび病耐性をもたらしていた
1958年または1959年
ポルトガル・CIFC (コーヒーさび病研究センター)がティモール・ハイブリッドの種子を2回に分けて受領。さび病への高い抵抗性を理由に2個体を育種用に選抜
1967年
CIFCの育種家が、さび病耐性と密植できるコンパクトな樹形 を併せ持つ品種の開発に着手
交配
耐性個体
HDT CIFC 832/2 × コンパクトな
ビジャサルチ →
ハイブリッド361(H361) 。「
サルチモール 」と名づけられた。
中南米にさび病が到達する、ちょうど間に合うタイミングだった とWCRは記している
1971年
ブラジルのIAC(カンピーナス農事試験場)での初期試験を経て、CIFCがH361を15か国の試験場へ圃場試験用に送付 (下記一覧)
中米での受け入れ
中米では、H361はまず
CATIE (熱帯農業研究・高等教育センター、
コスタリカ )の研究station へ送られた。そこで研究された集団に
T5296 の番号が与えられる。選抜育種は研究者
AJ Bettencourt が主導した
1978年
中米諸国がPROMECAFE (コーヒー産業の技術開発・近代化のための地域協力プログラム)を結成。USAIDの中米地域事務所(ROCAP)とブラジルのIACの資金・協力による。中南米に到達したさび病への対応が目的で、T5296はこのPROMECAFE初期の取り組みに起源を持つ
その後
CATIEでの中央試験から、T5296は域内の各国育種プログラムへ配布 された。各国での世代選抜が、次章の品種群を生むことになる
1971年にH361が送られた試験場のある国 (WCRカタログの記載順。カタログは「several countries, including」と書いており、これ以外にもあった可能性がある):
太字リンクのある8か国は当サイトに産地ページがあるもの。残る7か国には産地ページがまだない。
04
T5296から生まれた品種
SOURCE: WCR VARIETY CATALOG「T5296」History
T5296そのものは形質が安定しないため農家向けではない。各国の育種プログラムが、この集団からさらに世代を重ねて選抜し、安定した品種に仕立てた ——それが現在中米・ブラジルで栽培されている耐病性品種群である。
WCRカタログ「T5296」の History 欄に名前が挙がっている派生品種。当サイトにページがあるものはリンク。
品種 選抜した国・機関 関係
パライネマ Parainema ホンジュラス T5296の世代選抜
クスカトレコ Cuscatleco エルサルバドル T5296の世代選抜
リマニLimani 未作成 プエルトリコ プエルトリコに渡ったサルチモール集団の呼称
オバタ(赤)Obatá (Red) 未作成 ブラジル 同様の選抜
トゥピTupi 未作成 ブラジル 同様の選抜
IAPAR 59 ブラジル ・IAPAR同様の選抜
ホンジュラスのCOEには「パライネマ部門」がある。 当サイトの
ホンジュラス のページで扱っているCOE2025は、伝統品種部門・
パライネマ部門 ・エキゾチック品種部門の3部門構成だった。
1品種のためだけに競技会の部門が立つ ほど、パライネマはホンジュラスの生産に定着している——その品種の源流がこのT5296にあたる。ホンジュラスのページで「栽培面積はParainema品種の導入以降30万haを超える」と記した背景も、ここにつながる。
F1ハイブリッドの親としても使われている。 WCRは「近年のF1ハイブリッド品種の多くは、T5296とエチオピア在来種(エチオピア のlandrace)を交配して作られた 」と記し、例としてセントロアメリカーノ ・ミレニオ ・ムンド・マヤ を挙げている。耐病性(T5296側)と、在来種由来の遺伝的多様性・カップ品質(エチオピア側)を掛け合わせる設計である。F1ハイブリッドは種子で増やせない(自家採種すると形質が分離する) という、従来品種と根本的に違う性質を持つ——この点はセントロアメリカーノのページ で扱っている。
05
「サルチモール」は品種名ではない
SOURCE: WCR VARIETY CATALOG「T5296」History(末尾の注記)
WCRはT5296のエントリの最後に、わざわざ次の注意書きを置いている。
「一般に信じられているのとは異なり、"Sarchimor" はそれ自体が独立した1つの品種ではない という点は重要である。そうではなく、似た親を持つ多くの異なる品種の"群" である。」
— World Coffee Research, Variety Catalog「T5296」History(原文:It's important to note that, contrary to common belief, "Sarchimor" is not itself a distinct variety. Instead, it is a group of many different distinct varieties with similar parentage.)
同じことは「カティモールCatimor 」にも当てはまる。店頭やロット情報で「品種:サルチモール」「品種:カティモール」と書かれていた場合、それは品種名ではなく系統群を指している と読むのが正確である。実際に植えられているのはパライネマかもしれず、IAPAR 59 かもしれず、マルセジェサ かもしれない——いずれもさび病耐性という共通点はあるが、収量も、豆のサイズも、高標高での品質評価も品種ごとに違う。
当サイトがマルセジェサ とIAPAR 59 を別々のページとして扱っているのは、この理由による。両者はまったく同じ交配(HDT 832/2 × ビジャサルチ)から出発しながら、育種した国も機関も違い、WCRのスペック評価も一致しない 。
06
今後追加すべき項目
パライネマ・クスカトレコ — 作成済み (パライネマ /クスカトレコ 、2026年8月12日)。
オバタ(赤)・トゥピ・リマニ — 同じくT5296由来。ブラジル・プエルトリコの生産実態と合わせて確認が必要。
ルメ・スーダン(Rume Sudan)・ET01の素性 — F1ハイブリッドのエチオピア側の親。WCR品種カタログにルメ・スーダンの単独エントリは存在しない(2026年8月12日時点で404を確認)。
PROMECAFEの一次資料 — 1978年設立・USAID ROCAPとIACの関与という記述はWCRカタログ経由のもの。PROMECAFE自身の公表資料は未取得。
AJ Bettencourtによる選抜の詳細 — 選抜の世代数・基準は不明。CATIE自身の記録の確認が必要。
「安定しない」ことの実務上の意味 — WCRは「世代間で安定しない」とのみ記す。どの形質がどの程度ばらつくのか(樹高か、耐性か、カップか)は本ページの出典からは不明。
品種ページ ビジャサルチ(サルチモールの親)
品種ページ ティモール・ハイブリッド(もう一方の親)
品種ページ マルセジェサ(サルチモール系)
品種ページ IAPAR 59(サルチモール系)
品種ページ セントロアメリカーノ(T5296由来のF1ハイブリッド)
品種ページ エチオサル(サルチモール×ルメ・スーダン系)
産地ページ ホンジュラス(パライネマ部門)
産地ページ コスタリカ(CATIE所在地)
World Coffee Research, Variety Catalog「T5296」(varieties.worldcoffeeresearch.org/varieties/t5296、2026年8月11日取得)— スペック各項目、History 欄(サルチモール群の詳細史、PROMECAFE、CATIE/トゥリアルバでの番号付与、派生品種、「サルチモールは品種ではない」注記)
World Coffee Research, Variety Catalog「Marsellesa」「IAPAR 59」(同日取得)— 派生品種側のLineage欄との突き合わせ
当サイトホンジュラス のページで既に引用しているACE / Cup of Excellence Honduras 2025 の部門構成 — パライネマ部門の存在